てがろぐ

- Fumy Otegaru Memo Logger -

ざっくりふんわーり、ホウセンカについてネタバレ多少含む感想ソイッ!!
オッドタクシーが好きなオタクなので同じ監督脚本の作品は応援していきたいぜ。という気持ちがあり、楽しみにして観に行ってきました。今回は後ろの方の席、画面も小さな感じだったのですが十分物語を楽しめました。次は映画館の大きな画面で観れるので楽しみ。

私の考えなのですが、オッドタクシーの雰囲気好きな方なら満足して見ることの出来る作品だと思いました。私は後2回見に行くのでじゃあこんな機会あと何回あるかわからないから、それぞれで感想を語ろうと思い今回は1回目の感想です。報知映画賞の試写会?に行き、麦監督のトークショーも拝聴する事ができて満足!その内容も加味しながら書いていきます。

バルト9という映画館にてホウセンカ公開記念ということでオッドタクシーを前編と後編に分けて一気観出来る限定公開があり、上映後にホウセンカの冒頭7分の映像が最後に流れてたんだけど計3回観てやっと今日、続きが観れるんか!?と新鮮な気持ちになった。ceroの楽曲が花火の映像と、本当に美しいんですよ、でも楽曲流したの作中1度だけという贅沢使い。だからこそ印象に残りどんな雰囲気の映画であるかを伝えるのに必要で素敵な7分間だったと思う。

冒頭でもう小戸川みたいな男、阿久津が出てきてこの男好きだ!の気持ちに・・・。しかし小戸川と違い、妻子供を放置し遊びに行く様子が描かれており最低だなって思ったらホウセンカも同じこと言っててそういう男女に関しての向き合い方がアニメとしては独特だなと感じる。
昭和の価値観の男女ということで警戒もしていたけどホウセンカが神さまのような存在(麦監督発言)が俯瞰して言葉を述べてくれ、阿久津を慰めることもしないこのあくまでも違う生物同士で対話をしている。また、男として(?)のグルーミング表現はなく、それはおかしいだろ!本当はこうだろ!まで発言をする配慮が上手かった。

今作品は花と人が話すところを起点として生まれている。ホウセンカという花に決まったのは種を弾けるのがおもしろい。弾けるというワードから連想ゲームをしていき風船や花火を描いている。(麦監督発言)

麦監督や此元先生の描く男は無欲でそれらを突き詰めると3枚目になる。男の社会の常に勝ち得たいという姿勢は資本主義の反映であり、この幻想もまたひとつのロマンチズムに表現し、皮肉と優しさを込め弾けるという描写の一つにしている。
アニメはステレオタイプを強化する側面もあるが、実際の私たちの社会の弱さというのものを描くアニメには少なくこれを描くのっておもしろいなと思う。オッドタクシーでもこの傾向はみられていて、特に印象的だったのが救出された垣花と小戸川がタクシーで対話するシーン。「最初から情けなかったよ」と言い笑い合う。人、特に男性のもつ弱さへ男性同士が認め合うこういうシーンがもっと色んな作品に増えていいと思った。

この作品の幻想たち、ロマンチズムには自己犠牲神話も取り入れられているように感じた。私は戦中から現在にも続くこの自己犠牲というものが嫌いだけど、男がひとりでそれをかぶり対応していく図は、オッドタクシーでもあり、小戸川もそうだけどそういう男なら好き。なぜか考えたときに自己犠牲という帰結をせざるを得ない、連帯をするパッションがない男に残された弱さの表れの一つかもしれない。しかしここで終わらないところがこれらの作品のおもろいところで、阿久津にも小戸川にもひとつのギミックが備わっていて、彼の生活の中でまぁ役に立つかもねという程度のものを自分の大切なものを守るために静かに、最大限、きっと脳が焼き切れてしまうな思考と意志で行動して大逆転を目指す。そして阿久津や小戸川は大切な人への信頼性が少なからずある。これはきっと願いや祈りの部類に近い気持ちなのかもしれない。確かに伝わって欲しい。そんないじらしい思いがあるからこそ胸の打たれる作品になっているのだと思った。畳む